心理学エッセンス
「みんなそう思っている」は本当? ー丙午の迷信から考える「多元的無知」ー
殘華 雅子
2026年は60年ぶりの丙午(ひのえうま)の年でした。日本には「丙午生まれの女性は気性が激しく、結婚相手として忌み嫌われる」という迷信があり、60年前の1966年には出生数が約46万人も減少する「生み控え」が起きました。
「昔の人はそんな迷信を信じていたのか」と鼻で笑いたくもなるかもしれません。しかし、1966年は高度成長期真っ只中。東京オリンピックを機にテレビの世帯普及率が9割を超え、「そんなもの迷信だろう」と鼻で笑うくらいの科学的知識は行き渡っていたことでしょう。ではなぜ、生み控えは起きたのか。「これが原因」と特定はできませんが、心理学的観点から少し考えてみたいと思います。
鍵となる心理的現象として、多元的無知というものがあります。これは、だれもその迷信を信じていないのに、だれもが「自分以外は信じている」と思い込んでいることによって、その迷信が社会的に機能してしまう現象です。つまり、「私は丙午の迷信なんて信じてないけど、周りは信じている」とみんなが思い込んでいることによって、「丙午なんて迷信だ!」と意見表明もできず、あたかもみんなが信じているかのような社会になってしまうのです。
そして、迷信が(本心はどうあれ)共有されたものとされると、社会規範(社会的に正しいとされること)が生まれます。つまり本人の意思にかかわらず、「丙午に子供を産むべきではない」ことが正しいとされ、妊娠を親族や周囲の人から反対されてしまう。加えて、明治の丙午生まれの女性は縁談で不利になったとも報告されており(吉川,2018)、そんな話を上の世代から聞かされていれば「自分の子どもが将来そんな不利益を被るかもしれない」と考えるのも当然でしょう。もしかすると、60年前に子供を産めたかどうかを左右したのは、本人が迷信を信じていたかではなく、周囲にどんな人たちがいるかだったのかもしれません。このように、たとえありもしない迷信だったとしても、生み控えは合理的な判断になりえたのです。
今、丙午の迷信の影響は殆どなくなったかと思いますが、同じような現象は大小問わず起こっています。例えば、「自分は男性の育休取得に賛成しているが、職場の人は賛成していない」と思い込むことで、多元的無知が生じ、みんな「男性の育休取得」に対して否定的な態度を示してしまったりすることが知られています(宮島・山口, 2018)。このような状況が、男性の育休取得を難しくし、「男は育児に積極的ではない」、さらには「男性は育児に向いていない」という迷信を成立させているのかもしれません。他にも「飲み会ではお酒を飲まないといけない」とか、「(私は気にしないけど)みんな〇〇に偏見があるし」など、様々な思い込みが、あたかも事実として機能していたりします。
多元的無知の原因は「みんなが本心を口にしないこと」にあります。もちろん声高に「私はそんなもの信じていない!」と叫び、社会を変えてやる、なんて責任を背負う必要は誰にもありません。でも、「私はそんな風に思わないけどね」「気にしなくていいんじゃない?」と周りに小さく伝えてあげることが、案外、その人を今にも押しつぶしそうな迷信から救えるかもしれません。そうしているうちに、丙午の「生み控え」のように、「昔の人は馬鹿馬鹿しいことを信じていたんだな」と鼻で笑ってもらえる日が来るのかもしれません。
引用文献・参考文献
宮島健, & 山口裕幸. (2018). 印象管理戦略としての偽りの実効化: 多元的無知のプロセスにおける社会的機能. 実験社会心理学研究, 58(1), 62-72.
吉川徹. (2025). 『ひのえうま—江戸から令和の迷信と日本社会』. 光文社.