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心理学エッセンス

「質問はなし。👏Hurry UP !」

お金・暮らし New

小野 由莉花

疲労回復において睡眠環境は幸福な王子です。必ずしも真っ暗でないことが悪いとは、ヒプノスだって言わなかった。私の寝室だってです。ベッドはないので畳のマットにお布団を敷いて寝ていますが、ベランダに通じる窓はなく高速道路のトンネルにつながっています。薄暗くてよく見えませんが、たまに通るトラックのヘッドライトで、大きな甲虫が1匹、蟻が数匹這っているとわかります。こんな部屋ギリギリの場所を車が通るなんて危ないのに、リュックを背負った男の人が路肩を歩いているのが遠くに見えるので、安全管理基準的なものは満たした幅であることくらいわかりきっているじゃあないですか。昼に太陽が差すと、蟻ではなくて羽蟻の行進と気づきます。動画サイトを開くと、よく見ている猫頭の奇譚師のショートが更新されていました。『「恥ずが」は4つの市町村が合併してできた地方都市で、「恥ずが」はごみ収集の管理地域がはっきりしていない。』僕にはわからないからと悲し気に吐く姿なき声の先に、ふすまの前で昭和の漫画のような絵柄の少女が中年の男性に怒鳴っている。音声はなく口だけが動く簡易なアニメーションという、いつもとはかなり異なる編集で………

………っていう「夢」を、先月みました。

「夢」オチは便利な技法ですね。「夢」の話と言ってしまえば、話の流れや秩序を無視しても、それ以上の追及を逃れることができます。蝶になろうが百合が開こうが、フラミンゴとハリネズミでクリケットをしようが全て赦してもらえるでしょう。

だって、「夢」なのですから。

因果などなべて迷信と、笑うしかありません。

人は自分の置かれている状況について、説明や予測ができないと不安になります。不安を解消するために、情報を求め、理由や理屈を見つけて、そこに意味を見出そうと足掻いてしまうのです(不確実性低減理論, Berger & Calabrese, 1974)。昨今の考察ブームなど、その具体例かもしれませんね。答えっぽいなにか、が見つかればこまったさんだって安心します。

ただ哀しいかな、全ての物事に理由や理屈が存在するとは限りません。存在しない意味を求めて不確実性から逃れようと足掻いても、そこに意味などない以上、不安の無限ループ、吹き出す検索結果を享楽し、絢爛の並木を進む青空への凱旋は、やがて恐怖のパレードに喰われるか、或いはキミの名の下に狂気のパレードを産み出すか………

………さっきの段落にだって、何の意味もないですよ?

こんな、よくわからない状況への対処法は、情報を集めて理解に努めることだけではありません。「意味がわからなくても大丈夫」と認めてしまえばいいのです(不確実性管理理論, Brashers, 2001)。たとえば、「まぁ、「夢」だから」とそれ以上の理解を一旦保留してしまうのは、考え事や心配事から逃れる上で、存外効果的な方略だったりします。

もっとも、「夢」を「夢」と気づけるうちはいいのですが。

映画『パプリカ』(今, 2006)のリバイバル上映を観てきました。クールで美しい研究者、兼サイコセラピストの千葉敦子。その夜の顔は患者の夢に侵入し、現実世界では抑圧された不安やトラウマを明らかにしながら精神疾患を治療する、夢探偵パプリカ。

他人の「夢」――リテラシーも道理も通用しない領域――に触れる技術の暴走は、人々の夢を犯し、やがては現実すらも「夢」に犯されていく。

原作小説(筒井, 1993)では、敦子自身が赤いTシャツとジーンズ、そばかすというパプリカのユニフォームをまとい、患者との待ち合わせ場所であるバー、「ラジオ・クラブ」に赴きます。しかし、13年後の映画では、「ラジオ・クラブ」は現実には存在しない、ネット上の架空のバーに、パプリカも夢で、またはネットの中でしか会うことのできない存在に変わっています。この変更の理由は、以下のパプリカの台詞に示されているのかもしれません。


「抑圧された意識が表出するという意味では、ネットも夢も似ていると思わない?」


では、ここまでの「夢」を、「ネット」と読み替えてみましょうか。


映画からさらに20年が経った今、ネットは日常から切り離せなくなりました。朝はニュースや交通機関の遅れを確認し、大学では講義資料も休講情報もネットで届く。わからないことがあれば検索し、暇な時にはSNSを眺めてたまに反応を送る。現実世界とつながることさえ、ネットを介して行われるようになりました。
同時に、ネットはしばしば、現実では抑圧された誰かの意識――飲み込んだ感情や押し殺した衝動や無視した想い――が、言葉や画像として具現化した場所でもありえるわけで。そこは夢と同様に、しばしばリテラシーも道理も通用しない領域かもしれない。それなのに、つい理由や理屈を見出して、存在しない意味を理解しようとしてしまっていませんか。

自分がネットに振り回されていると感じる時は、「夢オチ」ならぬ、「ネットオチ」という方略を覚えておくのはいかがでしょう。

だって、「ネット」なのですから。
因果などなべて迷信と、時には笑ってしまってもいいのかもしれません。

まぁ、この文章もネット配信ですけどね。

努々(ゆめゆめ) 省みるな 手遅れゆえ

参考文献

Berger, C. R., & Calabrese, R. J. (1974). Some explorations in initial interaction and beyond: Toward a developmental theory of interpersonal communication. Human communication research, 1, 99-112. https://doi.org/10.1111/j.1468-2958.1975.tb00258.x
Brashers, D. E. (2001). Communication and uncertainty management. Journal of communication, 51, 477-497. https://doi.org/10.1111/j.1460-2466.2001.tb02892.x
平沢 進 (2006). パレード
今 敏 (2006). パプリカ パプリカ製作委員会
筒井 康孝 (1993). パプリカ 新潮社