ESSAY心理学エッセンス

人間関係はむずかしい?

人間関係はむずかしい?

松下 幸治

2024.03.01

#コミュニケーション

カウンセリングとか心理療法ということを30年以上やっていますと、人間関係のもつれがきっかけでなんらかの精神科疾患にかかってしまったというクライエントさんがそのほとんどを占めていることがわかります。また、本学で9年以上学生相談業務に携わってきた経験からみると、特に大学生という青年期特有の対人関係パターンに思い悩んでいることにも気づきます。その中で少し気になる特徴を挙げてみて、その苦慮感が僅かなりともマシになる、あるいは少し心が軽くなる方法を提案してみたいと思います。これらは日頃から私が学生やクライエントさんに時々お伝えしていることでもあります。
まず、「相手に対して何か言いたいことがあってモヤモヤしている」という人の話をよく聴いていくうちに、その思っていることについて「これを言ったら最後」と思い込んでいることがとても多いと感じています。こんな時私は<それを直接その人に言ってみては?>と勧めます。すると大抵は「そんなこと言うなんてとんでもない!」と返ってきます。何度かやんわりと説得をして渋々納得をした様子で別れた後、その次にお会いした時にかなりの割合で返ってくる言葉は「先生!言ってみたらなんてことありませんでした!相手からは、なんでそんなこと…もっと早く言ってくれたらよかったのに、って言われました。拍子抜けしましたよ。」という感じです。不思議じゃないですか?これが一人や二人の事例ではなく多くの若者に見受けられるのですから。 これは、一つには相手とrealに関係性を営んでいるというよりも、自らの「空想(fantasy)」の中で他者を見ているがゆえに起こる事象のように思います。相手の実像を見ているようで実は自分の空想上の相手像を作り上げているということでしょうか。カール・グスタフ・ユングはこの空想(fantasy)と想像(imagination)を区別し、空想とは自我の願望を充足させるための極めて自己中心的な様相を帯びているのに対し、想像は自我から離れたところから生まれてくるものなので真に他者の立場に立ってものを見るという想念であるというニュアンスのことを述べています。したがって想像には他者の実像をしっかりと感じているがゆえに真の共感性を備えているものだといえます。
共感という言葉が最近やけに日常的に用いられているように私は感じているのですが、上記の区別を考えると、空想から生じる共感とは厳密には共感している「つもり」であって、自己満足の域を越えないものであることはご理解いただけると思います。すなわち真に共感的であるには本稿の文脈でいう想像、ないし想像力があって初めて他者の心に寄り添えるのではないでしょうか。上記の例でいえば他者の反応を恐れていたのは実は自身が嫌われることを空想の中だけで恐れていたことを示しているのであって、実際に直接相手に話してみたらなんてことはなかったという「実像」に触れた瞬間だったということでしょう。実像に触れて初めて想像力は身につくのかもしれません。
加えてここで申し上げたいことは、それでも仮に関係性がもつれた場合を想定してみたところで、対人関係というものはほとんどの場合が修復可能であるという臨床的事実についてです。確かにひとたびもつれた関係性を修復するにはそれなりに時間と労力を必要とすることは間違いないのですが、他者との「対話」に開かれた心さえ持ち合わせていれば、そしてその「対話」を丁寧に積み重ねればたいていの場合関係修復は可能だということです。そこには常に他者の「実像」と「対話」をする姿勢が大切になってきます。
この「対話」に必要なコツを少し挙げますと、これは私が大学院生時代に心理臨床教育の訓練の一環として受けたものですが「I(私)-message法」という方法です。例えば「あなたは優しい人ですね」というメッセージは、ともすれば相手に対する自身の思い込みを決めつけている可能性がありますよね。仮にこの表現を「私にはどうもあなたが優しい人のように思えるのですが言われてみてどうですか」と言い換えてみるといかがでしょう。これはあくまでも私の主観的体験であってあなたを決めつけているものではないですよ、というメッセージが込められている感じがしませんか。この方法が身についてくると対話がスムーズになってきていることを実感できるかもしれません。
もう一つのコツは、的を射るのではなく的を外すくらいの気持ちで自己表現するということです。これまで多くの学生さんと出会ってきましたが、大学に入学するまでの家庭や特に学校生活での日常においてこの「的を射る」内容の発言を求められてきたのではないか心配になることが多くあります。「答え(answer)」は求められても自由に「応え(response)」る機会が少なかったのではないかと思うのです。この提案に対しても、最初は大抵「的を外したら相手を傷つけてしまうかもしれない」などと言って抵抗するのですが、コツがわかってくると「なんか以前よりずいぶん気が楽になった。これまではちゃんとしたことをしゃべらなければ恥をかくかもしれないと思っていたが、何を言ってもいいということがわかって心が窮屈ではなくなった。いい感じに気持ちが緩んで生きやすくなった」などと語ってくれるようになるのです。
いかがでしょうか。社会の不寛容がいたるところで目につくようになり誰もが生きにくさを実感しているかもしれない昨今ですが、今一度日常の対人関係に目を向けてみてここに提案させていただいたことを、少しずつ実践してみませんか?日常の「いま、ここ(here and now)」を僅かなりとも実感できるようになるかもしれませんね。