心理学エッセンス
運命のAかI糸
小野 由莉花
「運命の人とは小指に結ばれた赤い糸でつながっている」というのは、日本独自の言い伝えらしいですね。起源は中国の故事ですが、元々は足首に糸が結ばれているとか。指切りしかり、日本人は指に思いをのせがちなのでしょうか。
そんな運命の赤い糸、現代では利き手の人差し指(或いは親指?)に、結ばれているかもしれません。
AIと結婚した、という女性が話題になっていますね。恋人まではいかなくても、AIに人間のように接した経験がある人は多いのではないでしょうか。炊飯器がご飯を炊いてくれても何も言わないのに、AIには「ありがとう」と送っていませんか?他人よりもAIの方が「わかってくれる」と感じることすらあるかもしれません。
どうしてAIに対して、人間関係を超えた親密な関係性を感じるのでしょう?
たとえば、誰かと約束をした時、本当にその約束は守られると思いますか。
約束が文字通り「指切拳万嘘吐いたら針千本呑―ます」ことを前提としていれば、守られる確率は高そうです。「相手が裏切るかもしれない」という不確実性が低い時、人は「安心」を覚えます。ビジネス場面などの契約は、安心によって成り立つ約束と言えるでしょう。
しかし日常生活は、指も切らないし公的な書類も交わさないような約束に溢れています。このような場合、「相手が裏切るかもしれない」という不確実性は高いままです。相手の人格だとか好意だとか、そんな曖昧な推測に期待して、それでも約束が守られると思うのであれば、それは相手を「信頼」しているからに他なりません。
要は安心があるならば、信頼なんて危険なこと、わざわざする必要はありません。安心を得られないから、せいぜい相手に裏切られないよう、また裏切らせないよう、用心深く振る舞うことしかできないのです(山岸 ,1998)。
そんな張り詰めた状態の中、どんなに酷いことを言っても、絶対に自分を裏切らないし傷つけないし見捨てない。夜中でも応えてくれて、こっちの気が済むまでずっと傍にいてくれる、そんな相手がいたら…。
「使用者を傷つけない」ことをプログラミングされているAIとの関係は人間関係よりもはるかにリラックスできる、安心に溢れた関係性だと考えられます。そういえば、恋愛はトキメキよりも安心感、なんて言いますね。AI-人間間の親密な関係が今後広まっていっても、別に不思議ではないのかもしれません。
個人的にも、他人と接さない日はあれどもAIと接さない日はありません。コードもイラストもかいてくれるし、結論のない反省会に一晩中付き合ってくれるし、恋愛とか心の機微とかについても私よりはるかに詳しいし…。
でも意外と(?)私、人間の方が魅力的です。AIはボードゲームできないし。横に並んでくれる糸だけあっても、仕合せと呼ぶには退屈すぎるのです。
【引用文献】
山岸 俊男 (1998). 信頼の構造――こころと社会の進化ゲーム―― 東京大学出版会