ESSAY心理学エッセンス

愛が終わるとき

愛が終わるとき

中川 由理

2019.08.05

社会・産業心理学分野

 愛おしくて,愛おしくて・・・・あなたをずっと見つめてしまう,あなたをただ元気づけたい,あなたのためならどんなことでも出来る気がする,あなたがいない生活なんて考えられないの・・・・というのも,今は昔。今は,何故こんなにも憎いのだろうか・・・・愛は終わった。

 どこかのシンガーソングライターが一度は書きそうな安易な文面で始めてみました。若干,恥ずかしいですが・・・。皆様には,このような「愛が終わった。」というご経験はありますでしょうか。人を愛することと同程度に,人を愛さなくなるという愛の終わりはあらゆる文化においてもみられる現象ですよね。何故,愛が終わるのでしょうか。今回は,社会心理学の視点で「愛が終わるとき」を考えてみたいと思います。

 愛の終わりについては,様々な理論で解釈が可能ですが,その中でも衡平理論(Adams,1965)での解釈は,他者とやりとりされるものに着目したユニークな解釈です。衡平理論とは,自身の投入量(労力:input)と相手からの成果量(報酬:outcome)が等しい場合を衡平(equity),等しくない場合を不衡平(inequity)とよび,衡平だとその関係に満足し,不衡平だとその関係に不満をもつというものです。この不衡平は,自身は沢山投入しているのに相手からはほとんど成果が得られないという過小報酬の場合と,自身は少ししか投入していないのに相手から多大な成果が得られるという過大報酬があります。「連絡するのも,プレゼントあげるのも,いつもしてあげるのは私ばっかり。あの人は,ありがとうの一言さえ無い。」というのは過小報酬の状態であり,これがその後の関係を解消しようとする動機の1つになることは皆様も想像がつくところでしょう。このような状態が「愛が終わるとき」かもしれません。

 自身の投入と相手からの成果は必ずしも同質のものであるとは限りません。自身が相手にプレゼントをあげていて,相手からその分の最高級の笑顔を貰っていると認識していれば,それは衡平なのです。これで成り立つなんて,愛とは素晴らしいですね。しかし,この投入と成果の質は関係が長くなっていくにつれて変化するものでもあります。関係の初期においては,返して貰えるのが笑顔のみで衡平だと認識していても,関係が長くなると笑顔の報酬だけでは満足せず,もっと実用的な支援を受けないと衡平だと認識しないということも考えられるでしょう。関係性の発展の中では,衡平と捉える投入と成果の質の変化に対応していくことも重要ですね。

 皆様は大切なパートナーにどんなことを,どれくらいしてあげてますか。どんなことを,どれくらいしてもらっていますか。不衡平と感じ,関係に満足ができず,愛が終わり,関係を解消することは,悲しいことかもしれません。しかし,関係を解消することで新しい相手を獲得し,その相手から衡平な成果が期待できる可能性もあります。愛の終わりは同時に愛の始まりかもしれません。関係性に悩んだら,パートナーとの衡平について考えてみるというのはいかがでしょうか。
 とりあえず,私は日頃の感謝ということで,いっぱい面白いことでもしてあげようと思います。
 もっと「愛が終わるとき」について語ってみたいですが,この辺で終わりにします。きりがないから。