ESSAY心理学エッセンス

子どもが笑う、大人が喜ぶ

子どもが笑う、大人が喜ぶ

柴田 利男

2022.03.09

#子ども・教育

兄夫婦に初めての子どもが出来た時、私はまだ大学生でした。私の両親にとっては初孫で、生まれたばかりの赤ちゃんを全力であやし、笑ったと言っては大喜びでまたあやし、それはもう狂喜乱舞、見ていて大丈夫かなと心配になるほどでした。大学の授業で「生理的微笑」について学んだのはその直後だったと思います。胎児期から新生児期に見られる生理的あるいは自発的微笑と呼ばれる反応は、刺激に対する反応ではなく不随意反応、その時の先生曰く「顔面筋肉の痙攣みたいなもんだ」。ということは我が両親が狂喜乱舞していた赤ちゃんの笑顔は別に笑っているわけではなく、単に顔面筋肉が痙攣していただけだったということになるわけです。もちろんこんなことは両親には言えませんでした。
感情の発生・発達については、赤ちゃんに「今のお気持ちは?」と聞くこともできませんので、研究が難しく今でも良く分からないことが多いというのが現状です。一般的には新生児の段階では、身体が充足した快の状態と、何らかの苦痛がある不快な状態の間を、行ったり来たりしていると考えられています。赤ちゃんというのは、ほとんどの時間をまどろんだ状態で過ごしていますが、お腹がすいたとかオムツが汚れているとか音や光の刺激で眠ることが出来ないとか、そういうことがあると不快な状態になります。逆にそういうことが無ければ満ち足りた快の状態ということになります。ただしこの時に不快や快の「気持ち」を感じているとは考えられません。快・不快の身体の状態は、脳の中心部にある脳幹部や間脳の機能によって作られる生物学的な反応と考えられます。このような身体の状態が筋肉・骨格の動きに反映されて、笑う、顔が真っ赤になる、泣くといった様々な行動の変化が生じます。そしてこれらに伴って、嬉しいとか悲しいとか腹が立つといった、気持ちの変化を自覚することになるのですが、この時は大脳新皮質が活動しています。生まれたばかりの新生児の場合、大脳新皮質が十分に成熟するまで3~4か月かかりますし、成熟したとしても言語能力が身に付かなければ自分の気持ちを明確に自覚することは出来ません。赤ちゃんが祖父母にあやされて笑っているという状況は、顔面筋肉の痙攣というのはさすがに言い過ぎだと思いますが、祖父母のあやすという行為と赤ちゃんの快の身体状態がたまたま一致した時に見られるもので、あやしてもらって喜んでいるというわけではないようです。
そう考えると何やら虚しくなってしまいますが、実は両親や祖父母が、生物学的な不随意反応を、笑ったといって喜ぶということは非常に重要な意味を持っています。勘違いと言えば勘違いかもしれませんが、身体的に快の状態にある時にいつも、周りにいる他者の笑い声を聞き笑顔を見ていることによって、快の状態と他者の存在が結びつき、単なる不随意反応が意味づけされていくと考えることが出来ます。そうして赤ちゃんは徐々に、快の状態と結びついた環境を好み、不快な状態と結びついた環境を避けるようになっていきます。こうして生物学的に反応していただけの「ヒト」が、環境と関りながら環境に意味を見出し、他者を含めた多様な環境の中で意味を持って生きていく「人」に育っていくのです。
今では、あの時、両親に勘違いだなどと言わないでよかった、心からそう思います。