ESSAY心理学エッセンス

心のなかにある財布(心理的財布理論)

心のなかにある財布(心理的財布理論)

永野 光朗

2019.09.09

#お金・暮らし

 消費者が商品やサービスを購入した時に感じる「満足感」や,出費に対する「痛み」は,かならずしも支払った金額に比例するとは限らず,買ったものの種類や,それがどのような状況によって買われたかによって相対的に変化することがあります。

 たとえば恋人とのデートで高級レストランに行き3万円を支払ったときには十分な満足感が感じられ,出費の痛みを感じないのに、同性の友人との食事に同額を出費したときには惜しいと感じられるとか,デパートに買い物に行き、気に入ったスーツがそうでないものよりも1万円高くても苦にしないで買った主婦が,帰りのタクシー代800円を惜しんでバスに乗って帰る、といった場合がそれにあたります。
われわれ消費者が日常的に経験しているこのような矛盾した出来事を,私の大学時代の恩師である小嶋外弘先生は「心理的財布」という構成概念を用いて分かりやすく説明しています。
この理論では消費者が持つ「財布」は心理的レベルでは複数に分かれており,購入商品・サービスの種類や、それを買うときの状況に応じて別々の異なった財布から支払っていると考えます。
これらの「心理的財布」には,異なった価値尺度があるので,同じ金額を出費した場合でも,出所の財布が異なれば、得られる満足感や出費に伴う心理的な痛みも異なってくるわけです。上記の主婦の例で言いますと「衣料品を買うための財布」のなかの「1万円」はあまり痛みを伴いませんが「交通費の財布」のなかの800円はかなりの心理的痛みが伴うということになります。

 では消費者はどのような「心理的財布」を持っているのでしょうか?小嶋先生は質問紙により各種の商品について大学生を対象にして「購入にともなう痛みをどれくらい感じるか?」をたずね,そのデータを分析して以下の9つの「心理的財布」が存在することを確かめました。

①ポケットマネー財布(コンビニや売店で購入する商品など)
②生活必需品財布(冷蔵庫,洗濯機など生活に必要な耐久消費財)
③財産財布(土地やマンションなど財産として価値をもつもの)
④文化・教養財布(映画,観劇,コンサートなど)
⑤外食財布(友人との外食,買い物先・勤務先での外食など)
⑥生活水準引き上げ財布(購入して使用することで生活が便利になる耐久消費財など)
⑦生活保障・安心財布(保険料など生活の保障に必要な経費)
⑧ちょっとぜいたく財布(自家用車などの贅沢品)
⑨女性用品財布(女性用の衣服やお洒落用品など)

 このような「心理的財布」は実態として存在するものではなく,あくまでも構成概念ですが,これを用いて消費者の心理や行動の仕組みを理解することができます。

 小嶋先生は「個人によって所有する財布の種類やそれぞれの大きさが異なる」ことを述べています。たとえば「外食財布」は人によって大きさが異なり(外食にかける金額や出費の感じ方が人によって異なる),また「食事はかならず家でする」と決めて財布自体を所有していない人もいるでしょう。
このことは消費者行動の個人差を説明することができます。
また「状況によって財布のあり方が変化する」ことも指摘しています。旅行に行ったときにはつい気が大きくなってあれこれと買い込んでしまう(財布のヒモがゆるむ)というものです。

 心理的財布理論は,企業のマーケティング活動のヒントになる(心理的財布に基づいた市場細分化や財布の拡大を狙ったセールストークなど)と同時に,われわれ消費者が「自分はどのような財布を持っていて,その大きさはどれくらい?」と考えることで自身の購買行動を冷静に見つめるためにも役立つ理論といえます。

引用文献
小嶋外弘(1986) 価格の心理 消費者は何を購入決定の“モノサシ”にするのか ダイヤモンド社