ESSAY心理学エッセンス

本気と嘘ものの両立としての心理療法

本気と嘘ものの両立としての心理療法

仲倉 高広

2018.08.01

臨床心理学分野

 先日のことです。電車に乗っていると,隣に座っている大人が,「子どもってなんであんなに元気なんだろうね。限界まで思いっきり遊んでも,寝たらすぐに回復するしね」というような話をしていました。その日は猛暑。クーラーの効いた電車のなか,これから外を歩くことを考えただけでも,ドッと疲れが出そうな私は,こころのなかで“そうだよなあ”と同意しつつ,炎天下で,走り回っている子どもを想像していました。鬼ごっこ,缶蹴り,私の子ども時代にはなかったゲーム機での対戦など,彼らの世界は,大人が思っている以上に真剣勝負にあふれています。オニになった人は追いかけ,一方は真剣に逃げる。ゲームの対戦で負けると必死に泣く。ほかにも,クラスで誰に話しかけるか,誰と一緒に帰るかなども,子どもなりの真剣な生き残りゲームなのかもしれません。

 50代となった私でも,真剣に鬼ごっこができるでしょうか。タッチされるだけで,オニになったり,オニになることを恐れ,逃げ回ったり。体力の無さもさることながら,おとなになった今は,子どもたちが自然とできている“本気になる”ということが,いつの間にか難しくなっているようです。大人になるにつれて、感情的にならず冷静に対応することを求められるようになったからかもしれません。

 私は、日々の心理療法においてクライエントが語る話を,自分の思い出,あるいは想像を通して,臨場感を持って経験するようにしています。鬼ごっこでタッチされたら“オニ”になってしまう恐れをリアルに感じるようなものです。しかし,先程の鬼ごっこのように,なかなか真剣になれなかったり,後先のことを考え,息切れしないように少しブレーキをかけてしまったり,没頭することは簡単ではありません。

 一方で,わが子や親,きょうだいに対し,我を忘れ叱ったり怒ったりするときもあります。相手は別人格であるという理性がすっ飛んでしまい,真剣に感情を爆発させてしまいます。これは、オニそのものではない,鬼ごっこの“ごっこ”といった部分がなくなってしまっている状態と言えるかもしれません。没頭し過ぎないということも難しいようです。

 クライエントとは“嘘ものである”ことを共有しつつ,それでも本気になる。そんな関与の仕方が心理療法では求められると思います。赤の他人でありながら本気で向き合い,相手と自分の両方を真剣に体験しつつ関わり続けることが重要なのです。知識や技術を学びながら,あたかも本気で遊ぶ。嘘ものと本気の混じり合う世界に身を置き,嘘ものにある謙虚さや隔たりと,本気にある没頭する精神とを両立させる。この遊びのような学問が心理療法と考えています。これは,科学でもなく,宗教でもない,新たなパラダイムを生み出す学問であると言えるのではないでしょうか。
 私は、これからも遊び心を大切に学んでいきたいと思います。