ESSAY心理学エッセンス

没頭し専心できる疑問に出会えますように

没頭し専心できる疑問に出会えますように

仲倉 高広

2023.02.06

臨床心理学領域

あれは学部3回生の春のことだったでしょうか。もともと矯正教育学を自分の専門領域にしようといろんな単位をとっていましたが,ひょんなことからカウンセリングや心理療法を専門にしようと心変わりをしたころでした。外書購読担当の先生は,真面目に講義を受けていない学生たちに向かって「教育学を学ぶ学生の態度ですか!」と一喝されたことを今も覚えています。「教育とは・・・」と話が続いていったことは覚えていますが,中身は忘れてしまいました。しかし,ざわついている私たち学生に真摯に向き合って,熱く語られたその先生の言葉がすごく響きました。当時の私は,第一志望の大学でもなかったため,要領よく単位を修得し,それ以上のことはどうも熱心になれない状態でしたので,余計に響いたのかもしれません。それを機に,私はその先生の講義,例えば教育方法学などをすべて履修し,学問というよりもその先生について学ぼうとしていました。

その先生は,ロジャーズ(Carl Ransom Rogers)を基盤に,実践的な援助的人間関係について研究と実践をされている方でした。学び始めたころは,新しいものの考え方や人間観に魅惑され,疑いを挟むことなく,どんどん吸収していったように思います。没頭していた時期が落ち着くと,ふと疑問と不安が沸き起こってきました。果たして私は共感できるのだろうかと。京都橘大学で学ばれている方たちで,ロジャーズや共感的理解という言葉を知らない方はいないと思います。そのような広く知られている「共感」という言葉に,私は急につまずいたのです。今思うと自分自身が他者を共感的理解できるかという不安が根本にあったと思うのですが,当時の私は,「人が他者を共感できるのか」と恰好をつけた疑問に変えていました。私が傾倒している先生に,その疑問を投げてみました。その先生は「答え」るのではなく,じっと面と向き合って聴くという「応え」をくださいました。今思うと先生の著書には「共感」という言葉以上に「理解」ということに相当の紙面を割き記されています。なのに,その先生は解説することなく向き合ってくださったのだと思います。4回生になる前の春休み期間中に行った2週間の実習記録を見て,「共感的理解について学んできましたね」と言ってくださいました。その後,先生はご病気に伏せられ,教壇に立つことなく,私が修士課程を修了したお祝いに大事にされてきた書籍を譲ってくださり,お亡くなりになりました。

あれから30数年が経ちました。私は「共感的理解」や「共感」という言葉に不安や疑問を未だ持ちながら,さまざまな学びや実践を行ってきています。傾倒できた師や理論,そして疑問と出会え,幸いだったと思います。疑問は人に尋ね,回答を得ると解消されることもあります。しかし,せっかく大学という高等教育機関での教育にご縁ができたのですから,ぜひ,みなさんも,没頭し,抱え続け,自ら学ぶ動因となる疑問に出会っていただけたらと思います。

先生って誰だろうと想像される方もおられるかもしれませんが,内緒にしておきます。それよりも,みなさんお一人おひとりが専心できる疑問に出会えるよう祈っています。湿っぽい文章になりましたが,私の最後の心理学エッセンスとしたいと思います。